
贈り物は、心のかたち
Share
たとえば、誰かにプレゼントを贈るとき。
せっかく時間をかけて選んだものでも、渡し方が投げやりだったら、嬉しい気持ちは半減してしまいます。
高価すぎたり、明らかに相手に合わないものだったりすると、少し距離を感じてしまうこともあります。
逆に、小さなものでも、その人のために選ばれていて、丁寧に包まれ、心を込めて結ばれていたら。
その一手間だけで、贈る側の思いが静かに、でも確かに伝わってきます。
時間をかけて作った手作りの品なら、なおさらですね。愛情が形として届きます。
“なぜかモヤモヤする”贈り物
誰もが一度は、贈り物をもらって「ありがたいはずなのに、どこかモヤモヤする」経験があるのではないでしょうか。
どう見ても使い古しのようなもの、誰かのお下がり、あるいは明らかに自分の不要品を押しつけられたようなもの──。
悪気はないのかもしれません。でも、それは贈られた人にとっては、残念で、気まずい体験になってしまいます。
私はまだまだ学びの途中ですが、「気を遣う」というのは、こうした細やかな心配りから生まれるものなのかもしれません。
ありすぎても、足りなすぎてもいけない。とても難しいものです。
たとえ親しい間柄であっても、そういうときには一言のことばや、手書きの一筆があるだけで、気持ちはまったく違ってきます。
受け取った人は基本的に「返すことができない」立場だからこそ、その一方通行の行為には、慎重でありたいものです。
心は、所作にあらわれる
ある知人に、手土産選びにとても気を遣う方がいます。
若い頃、「あいつは仕事せずにお土産ばかり配っている」とからかわれたこともあるそうですが、その方は今では一流企業の会長にまでなりました。
人に喜ばれるために、時間をかける。
それは、その人の価値観であり、生き方です。
気を遣うとは、相手を思いやるということ。たとえ遠く離れていても、思いを届けようとすることです。
“選ぶ”こと、“包み結ぶ”ことの意味
贈り物は、その人の人柄や価値観をそのまま表すものだと思います。
だからこそ、選ぶ時間そのものが、すでに贈り物の一部なのです。
そして、「包む」「結ぶ」という所作にも、また特別な意味があると私は感じています。
それは、言葉では言い表せない“あたたかさ”となって、受け取った人の心に静かに届きます。
日本の「包みと結びの文化」を、もっと世界に。
最近では、海外でも「Fabric Wrap」という名前で、風呂敷の文化が少しずつ広まり始めています。
でも、その根底にある精神性や、相手を思う丁寧さまでは、まだ十分に伝わっていないようにも思います。
風呂敷は単なるエコなラッピングではなく、
日本人が大切にしてきた“心遣い”そのものの象徴です。
便利さやスピードに溢れる現代だからこそ、
一枚の布を結ぶ、その行為にもう一度価値を見出してもらえたら──。
そんな思いを込めて、今日も私は風呂敷を手に取ります。