The Karakusa Furoshiki: From a Staple in Japanese Homes to a Global Tradition

唐草模様の風呂敷:日本の家庭の「1枚」を世界へ

昭和の記憶と唐草模様の風呂敷

昭和生まれの私にとって、唐草模様の風呂敷は懐かしい家庭の象徴です。実家の押し入れを開けると、そこには大きな唐草模様の風呂敷に包まれた布団がありました。唐草模様の風呂敷は、ただの布ではなく、家族の思い出を包み込む大切な存在のようにも感じます。

明治時代から昭和時代へ

風呂敷の大流行 明治時代(1868~1912年)に入ると、風呂敷は収納道具として多くの家庭で使われるようになりました。そして、昭和30~50年代には、唐草模様の風呂敷が大流行し、一年間で150万枚も売れるほどの人気を博しました。この時期には「一家に一枚はある」と言われるほど、唐草模様の風呂敷は日本中の家庭に普及していたのです。唐草模様自体が持つ「繁栄」や「長寿」を象徴する意味合いから、生活の一部として親しまれ、花嫁道具を包む布として使われて箪笥の一番下に仕舞うと縁起が良いとされていました。

なぜ泥棒の定番になったのか?

ここで興味深いのは、なぜこの唐草模様の風呂敷が泥棒の定番アイテムとなったのか、という点です。縁起が良いとされタンスの一番下の段にしまっておくのが一般的だったこの収納スタイルが、皮肉にも泥棒にとって非常に便利な「時短テクニック」を生み出すことになったのです。泥棒たちは、効率よく盗みを働くために、まずタンスの下段から開けて風呂敷を取り出しました。そして、その風呂敷を使って、次々と上段にある高価な着物や宝石などの貴重品を包み込み、逃走するという手順が定着していたのです。このエピソードは、唐草模様の風呂敷が「一家に一枚」あったことを裏付けるものでもあり、同時に泥棒たちが風呂敷を利用していた理由をも説明しています。 現代の日本と唐草模様の風呂敷 時代が進むにつれ、日本の家庭に和室が少なくなり、それに伴って風呂敷の存在感も薄れてきました。現代の日本の家庭で唐草模様の風呂敷を見かけることは、少なくなっています。しかし、唐草模様の風呂敷は単なる昔のアイテムとして忘れ去られるのではなく、新しい形で再評価されています。

Musubismのミッション

世界の家庭に「1枚」を Musubismのミッションは、風呂敷を「世界の家庭の1枚」にすることです。伝統的な日本の文化を守りつつ、風呂敷を使ったエコシックなラッピングを現代的なアートとして再解釈し、世界に広めたいと考えています。Musubismの風呂敷は、ただの道具ではなく、海外若手デザイナーの斬新なデザインを取り入れ、質の高いおしゃれなアイテムとして、また環境に優しい選択肢として注目されています。 私たちの風呂敷を持つことは、個々のスタイルを表現するだけでなく、地球環境に配慮したサステナブルなライフスタイルを支持するステートメントでもあります。また、日本の職人技や伝統技法を守る活動をサポートし、少なくなりつつある工房の復興にも貢献したいと願っています。

唐草模様の風呂敷が繋ぐ過去と未来

Musubismは、思い出を大切に残しつつ、未来へ向けて新しい思い出を結ぶ存在でありたいと考えています。風呂敷を通じて、私たちは家族や友人との絆を再確認し、その絆を世界中に広めることができます。 Musubismの風呂敷が、あなたの家の1枚になり、そして世界中の家庭に広がっていくことを願っています。

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