いつもそこにいてくれるふろしき
幸せになると決めている人は、幸せになると思います。
どうしてついていないんだろうと思っているとそうなってしまうのです。
シンプルすぎる話ですが、ようやくしっくりと来るようになった気付きです。世の中は情報で溢れていて、見なくていいものまで目に入ってくる。あの人みたいにした方がいいのかな、こうした方がいいのかなって、気づいたら自分の軸がどこかにいってしまう。そして、そういう流行はすぐ変わり、飽きてしまう。結局、残るのはひとつの問いだけです。私は本当は何がしたかったんだっけって。
若いうちに見つけて、ずっと貫いている人はとてもラッキーだと思います。でも、出会う時が、その時なんだと思うようにもなりました。
私が風呂敷に興味を持ちはじめたのは、茶道を始めて間もない頃でした。
右も左もわからないまま入門して、初めてのお正月を迎えて、初釜にお邪魔することになったんです。待合に入った時、皆さんがそれぞれの風呂敷を持っていらして。道行のコートやショール、それぞれの荷物をひとまとめにして、静かに置かれていた。色も柄も、着物と同じように、個性があって。
きれいだな、と思いました。そして、なんて便利なんだだろう、とも。
それが始まりでした。
外国人の友人と京都を旅した時のことも忘れられません。ふたりであちこち歩き回って、土産物家で風呂敷を見つけて、気に入って買って帰ったんです。その風呂敷を見るたびに、あの旅のことを思い出します。
風呂敷って、記憶を包んでくれるんですよね。物じゃなくて、時間を。あの京都の光とか、笑い声とか、石畳の感触とか。楽しかったあの日が、するりと戻ってくる気がする。
登山が好きで、山には必ず持っていきます。車の中で荷物をまとめておいたり、下山後の温泉のためにお風呂セットや着替えをひとまとめにしたり。一枚あるだけで、なんとでもなる。そのシンプルさが好きです。
怪我して入院していた時期のことも、よく覚えています。病室って、どこか無機質でしょう。持ち込んだ風呂敷を枕カバーにしたり、部屋の空気が少し変わりました。何かが解決するわけじゃないけれど、落ち着くんです。
最近なぜ風呂敷を売っているの、と聞かれることが増えました。
ずっと考えていたんですが、最近やっと言葉になってきた気がします。私たちって、物を買っているようで、実は感覚を買っているんだと思うんです。あの山の朝の清々しさとか、好きな人と街をぶらぶらした時の幸福感とか。風呂敷はいつも、そういう時間のそばにいてくれました。茶室で。京都の路地で。山の上で。病室でも。
だからこそ、贈り物を包む時に使ってほしいと思っています。
贈り物って、中身じゃないと思うんです。誰かのことを考えた時間、一緒に笑った時間、ただそばにいた時間。そういうものが全部、贈り物なんじゃないかって。だから、尚更それに見合うもので包みたい。
風呂敷が、そんな役割を果たせたらいいなと思っています。物を運ぶだけじゃなくて、時間を、大切な記憶を、あの時の感覚をそっと包んで、誰かに届けてほしいです。