Wrapping the Unseen Heart

見えない心を包むということ

心は形がなく、目に見えません。
思いや気(エネルギー)も同じようなものですね。
けれど、気遣い、心配り、思いやりは不思議と伝わります。
自分のために時間をかけ、行動してくれた時、心が動く。
その瞬間こそ、優しさが形になった時です。
そして、そうした瞬間は良い記憶として残ります。

最近、友人のお母様が亡くなり、葬儀に参列できなかったので、四十九日に胡蝶蘭を送りました。
その時すぐにお礼の電話をいただき、「覚えていてくれたことが嬉しい」と言われました。
お返しをと話してくれましたが、「気持ちだから、また今度お食事でも」と伝えました。

以前、別の知人に同じようにお花を贈ったときは、電話はなく、お返しが届きました。
人それぞれの表し方がありますが、お会いした時にお礼の言葉をいただきました。
贈り物やメッセージ、タイミングは本当に難しいものですね。

日本では、人に会うときに贈り物を渡すことが多いです。
私も少々やりすぎではないかと思うときがあるぐらいなので、海外の人から見ると少し不思議に思うかもしれません。
この違いは、心の表し方の違いから生まれている気がします。

欧米では、誕生日や記念日など「特別な日」に贈ることが多い。
日本では、日常の中で贈る。
会うこと自体がご縁であり、その瞬間に心を形にする。
贈るという行為そのものが、思いやりを伝える方法なのです。
言葉の代わりに心を示す方法として育まれてきたのかもしれません。

風呂敷の包む、結ぶという行為は、この日本的な心の形そのものだと思います。
心は見えないけれど、包むことで形になり、結ぶことで相手との関係を結びます。

現代は効率が優先され、思いやりを形にする機会が少なくなりました。
だからこそ、風呂敷のような一手間に価値があります。
所作には心が出る。

ぜひ、風呂敷を使って包んでみてください。


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