─日々の心が紡ぐもの
風呂敷に魅かれ、風呂敷を「創る」側になってから、私は「包むと結ぶ」という行為の奥深さに少しずつ気づくようになりました。どのように包み結ぶか。
その所作の中に、その人の心が映し出されるように感じます。
着物の着こなしが、ただ着ているだけではないように、姿勢や振る舞い、その所作に美しさが宿るように、風呂敷もまた、使う人の心を映すものなのかもしれません。
風呂敷は心を映す鏡
風呂敷を広げるとき、私はいつも、その布がただの道具ではないことを意識します。
贈る相手を思いながら包むと、自然と手元が丁寧になり、仕上がりも美しくなる。
何かを守るために包む。そして、その大切さを結び目に。
こうして風呂敷に包んだものを手渡す瞬間、その想いまで伝わるような気がします。
風呂敷はまるで心を映す鏡のように、その時々の気持ちをそっと映し出してくれるのです。
それは、特別なラッピングの技術や資格ではなく、日々の積み重ねの中で生まれるもの。
丁寧に包むことを繰り返すうちに、少しずつ美しさが育まれていくのではないかと思います。
包むことの大切さ
「結ぶ」だけではなく、「包む」という行為そのものにも、風呂敷の魅力が宿っています。
ただモノを収納するために包むのではなく、どう包むかを考えることで、そこに心が加わる。
着物の帯や襟元をそっと整えるように、風呂敷の端を揃えることで、所作が磨かれていく。
その積み重ね。
心を込めて包むことは、単なる技術ではなく、むしろ生き方に通じるものかもしれません。
Musubism──結ぶことで世界とつながる
風呂敷は「包むと結ぶ」ことで人と人をつなぐものでもあります。
世の中には、言葉にできないけれど、不思議と人を惹きつける魅力を持つ方がいます。
その人が日々積み重ねてきたものが、言葉を超えて伝わってくるのを感じます。
私はまだまだ学びの途中ですが、風呂敷を通して、そんな温かさや美意識をお伝えできたらと思っています。
Musubism(むすびずむ)──それは、風呂敷を通じて心を結び、世界とつながること。
風呂敷の結び目ひとつにも、包み方ひとつにも、私たちの想いが込められています。
だからこそ、そこに丁寧に心を込めることが、美しさにつながるのかもしれません。
今日、あなたが包む風呂敷のひとつひとつが、誰かの心をあたたかく包み、結んでいくものになりますように。