世界の暮らしに、日本のふろしきを。
江戸の暮らしの中で、ふろしきは特別なものではなく、当たり前のように日々の暮らしに寄り添う布でした。それがいつの頃からか、タンスの引き出しの奥に眠るようになってしまいました。ふろしきと再び出会って、忘れかけていた何かを、少しずつ取り戻している気がしています。
茶道を学ぶ中で、繰り返し出会う言葉に「一期一会」があります。一生に一度の出会いであり、その一服の茶は、二度と同じようには点てられませんし、その時間はその時だけのものですね。だからこそ、今この瞬間に、丁寧に向き合うということ。ふろしきも、そうだなと思います。同じように包んでいるようで、実は違う。同じ布でも、季節が変わり、包むものが変わり、その日の自分も変わる。完璧に美しく仕上げることよりも、今この瞬間、何かを包むという時間そのものに意味がある。それは茶室で感じることと、どこか似ているのです。
ふろしきのおもしろさは、包むものによって外の形が変わること。角ばった箱を包めば、角が出ます。丸いものを包めば、やわらかな曲線が生まれます。これって、なんだか人みたいだなと思うんです。外に滲み出るものは、中にあるものの形。取り繕っても、隠しても、内側にあるものはいつかじわっと表に現れてくる。禅の言葉で「内外相応」と言うそうですが、内と外は響き合っているんです。だから私は、自分の中に入れるものは気をつけたいと思っています。読む言葉、出会う人、触れる文化、手に取るもの。知らず知らずのうちに、それらは自分が纏う布の織り目のようになっていく気がしているからです。
ふろしきの良さは、やり直しがきくということ。結んで、ほどいて、また結ぶ。うまく包めなくても、もう一度やればいい。汚れたら、洗ってアイロンをかければ元通りです。海外での暮らしで一番のハードルは、やっぱり言葉の壁でした。でも気づいたのは、完璧な発音よりも、場数を踏んで培った臨機応変なコミュニケーションの方がよっぽど大事だということ。そして何より、その人にしかない愛嬌や自分らしさが、一番伝わるということ。ふろしきも同じです。きれいに包めなくていい。正解なんてなくて、その時の自分に合う形で包めばいいというところが好きなんです。「ちゃんとしなきゃ」と肩に力が入ってしまう。そんな瞬間、誰にでもあると思います。そんな時はふろしきを思い出してほしいです。包み終えたら、たたんでしまえばいい。たったそれだけのことに、深い自由があります。
ふろしきは、ものを包む布。でも私にとっては、自分の生き方を問いかけてくれる道具でもあります。マインドフルネスという言葉が広まっていますが、その本質は、ずっと昔から日本の暮らしの中にあったと思っています。一枚の布を手に取り、丁寧に角を合わせて、結ぶ。ただそれだけの所作の中に、「今の自分」に戻る力があります。自分の好きな柄の布に触れる。纏う。贈る。ふろしきを通して、「私もやってみようかな」と思える時間になったら、これ以上嬉しいことはありません。
MUSUBISMは、日本生まれのふろしきをもっと自由に、世界の日常にしたいです。洋服やバッグ、アクセサリーを手に取るように、世界中のあなたの暮らしの中に、日本の一枚のふろしきがそっと寄り添えたらという思いで、手捺染にこだわったふろしきを作っています。
結んで、ほどいて、また結ぶ。
ふろしきは、あなた自身。